院長 紹介

北京堂 新潟院長
吉村 高福 (よしむら たかよし)

私も腰痛や坐骨神経痛、脳脊髄液減少症などの辛い症状で動けなくなったことかあります。

そして動けなく、仕事や生活が普通に出来ないことが、とても辛いことを知りました。

同じ様に辛く苦しむ方が、1回でも早く元の生活を取り戻せるように、全力で対応させていただきます。(^^)

院長 インスタ

「 鍼と私のSTORY 」

十日町の風景

私は20歳の夏に初めて体を壊しました。

1985年に、新潟県の十日町市という雪国で生まれ、色々なことに興味があり、相撲や野球やバスケット、スケートボード、グローブ空手など色々な運動をしていたせいか、怪我や大病の経験はなく、高校卒業後は希望に満ち溢れるように中国料理の調理師を目指していました。

自ら厳しい専門学校を選び、朝6時の点呼や掃除、練習や課題がたくさんの、まさに訓練場のような専門学校です。定期試験は「大根のかつら剥き3m」とか、ひと昔の漫画のような内容でした。

そんな環境でも人間は適応するもんで、大変ながらも楽しく毎日を過ごせました。

しかし、初夏の早朝掃除でテーブルを上げていると、腰に強い痛みが走ったのです。

「あっ!!」(腰から変な音が!)

初めての腰痛で、混乱と痛みにより動けなくなったのですが、他の人にサボっていると思われたくなくて、無理して作業を続けたのです。それが悪かったのでしょう。1時間後には痛みで動けなくなり、ベットから移動することが出来なくなりました。

初めてのぎっくり腰で、「腰を痛めるとこんなにも動けなくなるのか!」と驚きもありましたが、「安静にして病院に行けばよくなるだろう」と、楽観的に考えていました。

その日は安静にして、翌日に近くの整形外科に連れて行ってもらいました。診察とMRIを撮影して、整形外科の先生は「ヘルニアが少し出ているが、問題ない程度です。湿布を処方しますので安静にしていればよくなりますよ。」との説明されたので、安心して言われた通り湿布を張り安静にしてました。

しかし、痛みはさらに強くなり、さらに3日後には左足がビリビリと痺れはじめました。


腰を痛めてから1週間近くたっても、腰痛と足のしびれは強く、一向に収まる様子はありません。

湿布や痛み止めは一時的には効くのですが、薬が切れた時はまた痛みが強く出ます。痛み止めでは根本的な改善にならないと解かっていても、他に改善の方法がわからず同じことを繰り返していました。

その時の私は、肉体的な痛みや痺れもツラいのですが、

「作業や生活がまともに出来ないくて、みんなに負担をかけている」申し訳ない気持ちや、

「体を動かしたくても、痛みで思うように動くことができない」自分への不甲斐なさ、

友人に「大げさに痛がっていてサボっている」と思われていないか不安感、

「自分のこの痛みや痺れが理解してもらえない」もどかしさ、

「この先も痛み痺れが続くとしたら、普通の生活なんか出来ないんじゃないか?」という絶望感や不安感で頭がいっぱいでした。

「トイレや顔を洗うことさえ苦痛なのに、仕事なんて出来るわけない。」

「このままの生活が続くなら、調理の仕事は続けれないだろうし、他の仕事も出来るのだろうか?」

「最近は何をしてても楽しく感じないし、常に痺れが不快だし、痛みが出ないか動くことが怖い。」

「なにも出来ないし、もう何もする気が起きない。」と、動けないから余計に考えこんでしまい、

夜中に寝返りの痛みで起きてしまいうたびに、今後の生活へ不安を感じてため息が出ました。


そんな毎日を過ごしていると、地元出身の先輩がスポーツ選手が多く通う整骨院を探してきてくれたのです。

藁にもすがる思いで片道車で45分、整骨院に週2回、先生に言われた通りに通いました。

しかし、治療すると一時的には軽減するのですが、翌日にはほとんど元に戻ってしまい、なかなか根本的な改善とはいきません。

ですが、1月以上も痛み痺れと付き合ってきたせいか、精神的に少し落ち着き、

「このままではいけない、一時的には良くなるなら、ケアとか治療を増やせばもっと改善するのでは?とにかくやれることをやってみよう!」
と思い、自分でもできることをしようと改善方法を調べて、ストレッチや温め、毎日少しでもいいので歩くように行動し始めました。

整骨院と自身のケアや運動の甲斐があったのか、痛み痺れは軽減しました。しかし、慢性化してしまったせいか、最終的に転職するまでの3年間くらいは、腰痛と足の痺れは出たり収まったりを繰り返しました。

専門学校を卒業後、リゾートトラストというホテルの中国厨房に就職しました。しかし、上場企業でも中身は真っ黒!長い日は18時間くらい働き、岸和田出身のヤクザのような料理長から蹴りと恫喝が毎日飛んできていました。さすがに肉体的にも、精神的にも耐えられなくなり、仕方なく転職を決意しました。

これまでの体験から次の職は、「昔の自分と同じように、普通に動くことが出来ず辛い思いをしている人を、元気に動けるように出来る治療家を目指そう!」と決意し、心機一転横浜に出ました。

その後、目指したのは自分も整骨院でお世話になった「柔道整復師」でした。

鍼灸の専門学校

横浜医療専門学校で夜は働きながら昼は学校へと3年間やり抜きます。

クラスメイトの鍼灸師から鍼治療の有効性や効果について聞き、とにかく治療効果に貪欲だった私は、そのまま鍼治療の勉強をするため鍼灸学校に行くことを決めました。

柔道整復師の国家試験に受かり、そのまま東京衛生学園専門学校という鍼灸の伝統校に入学し、さらに新たな治療について勉強をすすめました。

出来るだけ広い知識を身に付けたく、学校が夜間の部だったので、昼間は鍼灸整骨院と薬局で働き、休日には知り合いのカイロプラクティックの治療家に教えを乞うこともありました。

整体師、鍼灸マッサージ師、柔整師、薬剤師、理学療法士、様々な専門家に知り合い、質問をして広い知識つけることが出来ました。今の自分があるのは、当時出会えたみなさんのおかげですね。

ですが、なかなか自分が求めている治療が見つかりませんでした。

鍼灸院、整骨院、マッサージ整体などの多くが「誰でも受けれる、低刺激で優しい、体質改善や骨盤矯正、美容と健康」などをウリにしており、

あの時に自分の求めた「今ある症状に全力を注ぎ、根本的な改善を感じられる、治すことに特化した治療」とは別物でした。

学校でもいろんな流派を体験したり、教えてもらい、紹介してもらい有名な治療院を何件も体験しに行きましたが、なかなかこれだと言えるものがありませんでした。

専門学校の風景

「もっと、目が覚めるような効果や根本的な改善ができる治療は無いのか?感覚や経験に頼らない、誰がやっても効果が出る、科学的で再現性の高い治療は無いのか?」

治療にはこだわりが無かったので、手当たり次第に勉強し、セミナーや勉強会などに参加して回りました。
ですが、卒業半年前になっても「これだ!」といった治療法はありませんでした。

「いくら探しても見つからない、これ以上探しても難しいか….」とあきらめかけていました。

北京堂鍼灸の書籍

しかし、出会いは学校の図書室にありました!

当時、レポートの資料集めの為に図書室にこもっていた際に、浅野周先生の書籍に出会いました。内容が面白く読み漁っていると、まさに衝撃的な内容でした!

「まさか?こんな治療が可能なのか?確かに理論的には、安全に深部にある筋肉に刺鍼でき、さらに治療効率を上げることも出来る。」


その本には、他の治療院や書籍では見たことも聞いたこともない技術と理論が書いてありました。まさに目の前が開かれるような感覚でした。

読み終えた私はジッとしていられず、職員室に走り、教員の方々に「浅野周」先生について聞いて回りました。まだ現役で治療をしていることを知り、クラスメイトを捕まえて「浅野周先生の鍼治療」を受けに行きました。

実際に鍼治療を受けて確信したのです!

「これだ!これこそが自分の求めていた治療だ! あの時、自分が普通の生活が出来なくて辛い思いをしていた時に、本当に必要で求めていた治療はこれだ!」

すぐに見学を申し出たのですが、弟子入りや見学希望者が多く断られました。ガックシ…

そんなことではあきらめません!クラスメイトを次から次へと誘い、治療しているところを見て、その後治療を受けながら質問を繰り返していました。

行くたびに見学のをお願いするので、ついに先生が折れました。

その後は、見学者から弟子になり直接指導を受け、まさかの島根県の北京堂へ4年間修業に行き、知り合いのいない環境で悪戦苦闘しながら、いろんな経験を積んで技術や知識を身に付けていきました。

松江の北京堂鍼灸院

島根の北京堂

2017年、島根県の北京堂を兄弟弟子に引き継ぎ、故郷の新潟に戻り開業しました。そしてあっという間に5年間が経過しました。

新潟市に来て6年間で、100万本以上の鍼を刺し、一万回以上の施術で皆さんの悩みを改善させてきました。

その中で、痛みやしびれで悩んでいる方にとって、将来的に問題が起こる「体質改善」はハッキリ言って2の次の問題でした。とりあえず早く症状を改善して、日常の仕事や行動に支障がない状態にしたい方がほとんどなのです。

私自身が同じ経験をしたことで、ツライ思いをしている方に「一回でも早く改善し、仕事や生活が以前と同じように、みんなと同じように動ける様になる」その為の治療を提供していきたいと思っています。

もしあなたがツライ痛みや症状に悩んでいるのでしたら、お気軽にご相談ください。